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白魔女の館

専業主婦とは

 せんぎょうしゅふと入力すると、私のパソコンは賤業首府とまず変換する。賤業である。パソコンってすごいな~。ユーモアのセンスが有るよなと感動する。

 正確には専業なのだが、賤業であると自ら思っている場合もアル。私も主婦になりたてのころは賤業だと思っていた。
 それまで会社で働いていたのに、会社をやめて自分の収入が無くなり、すごく不安な気持ちになったのを覚えている。
 人生の有る時期から、自分で働いて、その収入で暮らすというのを有る意味、自立とか一人前になる事だと思っていたので、その定義から行くと自分が半人前に戻ってしまったような気分になったのものだ。
 
 今でも良く職業欄に丸をつけるが、法律的には専業主婦というのは本当はなくて、無職となるのだそうだ。でも専業主婦の項目をなくすと主婦の人達が怒るので、専業主婦という項目が便宜上有るのだそうだ。

 無職か、良いなあ。なんかすごくアウトローな感じがする。

 私は子供がもう大分大きくなり、幼稚園や学校へ行くので昼間は一人である。こうしてパソコンをいじったり、趣味のビーズや人形をいじったり、世界中探しても日本の主婦ほど恵まれている人種は居ないかもしれないと思ったりする。

 私がこういう無職で好きな事をする自分を許せるようになったのは何故だろう?

 まず、日本という国が主婦という存在を認めているからというのが大きい。年金も自分で払わなくても良いし、控除も色々有る。夫たちはわずかな控除の為に、主婦というお金のかかる生物を家に置いているという事に気付いていない。
 賤業主婦とそれを養う夫という概念を国民に植え付けてくれた明治政府に感謝である。

 アメリカやヨーロッパの多くの女性は、専業主婦でいるためには相当努力している。
 まず夫の収入が多くなくてはならないし、ハウスキーピングのプロとして恥ずかしくないように、家事も相当こなさなければならない。
 ある意味特権階級なので、共働きの一般人にステキ~と言わせるライフスタイルをしなければという気迫も感じる。(マ-サ・スチュワートさんとかがいい例ですね。) 

 日本では主婦に社会がそこまで要求していないし、便利なサービスや製品がたくさん有るので、よっぽど完璧を目指さなければ専業主婦は楽な物である。

 私はある日自分の貯金がゼロになり、夫からのお金が全てになった事がひとつの転機となった。自分のお金はないので、家庭のお金が堂々と使える。ある種の開き直りである。

 それから何度か気の迷いで仕事に出ようかな?と考えもしたが、プラス、マイナス考えた時に、我家では私が働かない方が当分は良いのだという結論に心のそこから達したので、それも良かったと思う。

 収入の有る無しで考えると専業主婦は現代社会では異端かもしれないけれど、あらゆる人が収入の有る仕事につかなくてはならないという社会もある意味怖い。アメリカ人の多くがリタイヤした後を夢見ているのは、仕事がそれだけきついという事でも有るだろう。

 今の日本、専業主婦をどうとらえるかという点で、迷いがあるよな、と感じる。専業主婦はいっぱいいるけど、ホントのところどうなの?善なの?悪なの?世の中にプラスなの?マイナスなの?と揺らいでいる。

 専業主婦でいる本人も迷っている人が多いと思う。このままで良いのか?仕事を始めるべきか?趣味を極めるべきか?

 この社会的にも、本人的にも不安定な専業主婦という存在に、自分はこれで行く!とビシッと腹をくくるのはなかなか簡単ではない。

 私自身も迷いながらもしばらくは専業主婦でいるのだろう。
ある意味家の首府になれるように努力はしてゆくつもりだ。


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